西 暦 |
元 号 |
項 目 |
(石器時代) |
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紀 元 前 |
12000年 |
楡木・天拝山遺跡より石槍出土 |
(縄文時代) |
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紀 元 前 |
10000年 |
龍田陳内遺跡より石槍出土 |
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4500年 |
龍田陳内遺跡より曾畑式土器出土 |
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1000年 |
楠団地遺跡より縄文後期の遺物発見 |
(弥生時代) |
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紀元前後 |
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迫の上・竹ノ後の遺跡から須玖式甕棺出土 |
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法王鶴遺跡から弥生後期の土器出土 |
(1224~1225) |
元仁の頃 |
弓削神宮創建と伝えられる |
1332 |
:元弘2年 |
立田阿蘇三宮神社創建と伝えられる |
1348 |
正平3年 |
恵良惟澄が立田を焼き払う |
1505 |
正平2年 |
立田伊賀守重雄親子小金淵に立田城を築く |
1514 |
11年 |
立田将監立田山の杉谷に宝積寺を建立 |
1535 |
天文4年 |
鹿子木寂心立田に17町の所領を持つ |
(江戸時代) |
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1640 |
寛永17年 |
弓削、上立田、陳内は五町手永に所属する |
1645 |
正保2年 |
宮本武蔵死亡、武蔵塚に葬られる |
1661 |
寛永1元年 |
立田阿蘇三宮神社現在地へ還座 |
1753 |
宝暦3年 |
東福寺建立 |
1764 |
明和元年 |
弓削名寄帳できる |
1765 |
2年 |
小坂阿蘇神社創建伝えられる |
1771 |
8年 |
弓削天満宮(現:片彦瀬菅原神社)創建と伝えられる |
1822 |
文政5年 |
芭蕉鶴天満宮の天神板碑ができる |
(明 治) |
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1870 |
明治3年 |
五町手永は五町郷となる |
1872 |
5年 |
五町郷は第三大区となり弓削村、上立田村は一小区、陣内村は二小区となる |
1873 |
6年 |
弓削村、上立田村、陳内村は竹部組となる |
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下鶴学舎(弓削)、芭蕉学舎(芭蕉)上ノ林学舎(堂ノ前)、宝積寺額舎(宝積寺)、陳内学舎(陳内)が開設される |
1879 |
12年 |
弓削村、上立田村は一戸長区、陳内村は宇留毛区となる |
1884 |
17年 |
弓削村、上立田村、陳内村は上立田村列組織となる |
1886 |
19年 |
地区学舎を統合して上立尋常小学校として設立 |
1889 |
22年 |
町制施行により、弓削村、上立田村、陳内村が龍田村となる |
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上立尋常小学校現在地へ移転 |
1893 |
26年 |
上立尋常小学校を龍田尋常小学校と改称 |
1902 |
35年 |
龍田村是ができる |
1908 |
41年 |
熊本軽便鉄道(南千反畑~二里木)開通 |
(大 正) |
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1914 |
大正3年 |
豊肥本線熊本・大津間完成により軽便鉄道廃止 |
1926 |
15年 |
龍田村に巡査駐在所を設置 |
(昭 和) |
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1931 |
昭和6年 |
陸軍特別大演習を昭和天皇立田山で御統監 |
1938 |
13年 |
龍田郵便局開設 |
1947 |
22年 |
共合村組合わせで飽託東部中学校を共合村に設立する |
1951 |
26年 |
龍田村農業協同組合設立 |
1953 |
28年 |
瀬田、錦野、陳内、菊陽、共合と共同で白川中流地区簡易水道組合を設立 |
1956 |
31年 |
龍田村議会熊本市への編入合併を議決 |
(平 成) |
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2012 |
24年 |
政令指定都市に伴い熊本市北区に移行しました。 |