二里木道標石の説明

龍田町上立田字吉ノ平この道標石は、擬灰岩の自然石の石柱で、現高120cm底辺32cmの四角錐に近い形をしている。表記には「1628」とあり、その下に二行に分けて「右あそ・大分」「左大津・内牧」と大きく刻み、左側面には「等所清水旦次・阿蘇郡甲斐有雄」と刻まれている。

甲斐有雄は阿蘇郡野尻村尾下(現高森町)の石工であるが、旅人の道に迷う者の多いのに心を痛め、文久元年(1861年)から道標石の建設を始め明治10年の西南の最中もその事業を継続した。 県下では阿蘇を中心として上益城・飽詫まで足を延ばし、宮崎県では臼杵郡大分県では直入郡などにも建設し総数1900基にも及んでいたる。

尚、甲斐有雄の道標石は、熊本市では現在、この1つしか発見されていない。

2003年8月20日  龍田町まちづくり協議会・歴史委員会